どう見ても過払い金返還請求です
ここまでやりましたということを証拠として出すこと、つまり、アカウンタビリティということですが、そのアカウンタビリティを明確に示すことによって、それ以降の選択の結果や不平等化の結果については、社会として認めるという方向でいくしかない。
どこまでも結果の平等というわけではないのです。
ただ、どのレベルまでやるか、どのように具体的にやるかという方法論についてはいろいろある。
日本の教育改革の議論で言えば、この点が最も遅れているというか、欠けていた。
公教育のアカウンタビリティの議論を、社会の公正の問題と結びツケで論じる視点が弱すぎる。
アカウンタビリティといえば、どちらかといえば、資源配分の効率性の視点からしか議論されない。
もっとも、公正の基準に照らして、公教育のアカウンタビリティをどうやって具体的に確保するかとなると、いろいろあるから、まだまだ詰めの議論をしていかなければならない。
国が全体として最低基準を保障するのと、地方かどれだけそれぞれの地域のニーズを勘案しながら、その地域内での公正を達成するのにふさわしい手段を探ることとをどう組み合わせるかとか。
だけれど、少なくとも義務教育段階で公立学校の役割の中にいちばん基盤になる最低基準の保障は国が責任を果たすべきだと思います。
こういう公教育の公正の基準から見たアカウンタビリティの議論を前提に置かない限りは、そこから先の競争だ、市場原理だという話には私としては乗れない」端的に言って、W田さんとKTさんは、どこが違うのでしょうか。
リアルかどうかですか。
「T脇さんとW田さんがどこで一致点を見たのかが正確にはつかみにくいので何とも言えません。
違いがあるとすれば、私は社会科学の研究者だから、実証的なデータを使ってものを言うとか、社会の変化をどういう原理で見ようとするかということについての違いですかね。
現象は一枚岩的になんて発生していなくて、必ずある属性なり、カテゴリーの中で生じている。
そのカテゴリーをどうやって画するか、という点を私としては重要視してきた。
だけど、学力論争もそうだけど、こういうカテゴリーを、設定をしないで議論するから、小学校1年生から高校3年生まで、全体を一緒くたにゆとりだ『生きる力』だ、と論じるか、さもなければ『1人ひとりの子ども』といった、いずれにしても抽象論に陥ってしまう。
1人ひとりの違い、などと言ったら、たしかに違いはあるのだけれども、社会政策や制度としての話はできなくなる」一言で言うとリアルかどうかということですよね。
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